遠慮と謙遜 ~ 1

私の前のブログを読まれていた方はご存知かと思いますが、
私はアメリカに来たい〜〜と思って来たというより、
1年位の人生経験のつもりで渡米してしまった訳です

そして偶々渡米した先がサンフランシスコというLovely Cityだった為に
この街に根付いてしまったという、、、
正に行き当たりばったりの私の人生を象徴しているような成り行き

今では、home countryは日本と言いますが
home townはサンフランシスコだなと自分の中で思っています
だからサンフランシスコが変える場所

私は日本に居た時に何もかもがしっくり来なくって、
小中学校ではいじめに遭うし、
10代後半からはグレタし(笑)、
20代は本当に山あり谷ありボロボロの人生だったように思います

アメリカに来て漸く自分の感覚というか、
自分が自分らしく見えて来たという感じです
すごく感覚的な言い方をすると、
日本に居た時は全てが白いもやの中で生きていて、
アメリカに来て一つ一つが意味をなして、現実感を得た感じです

だから不安感が無くなったというか、
どんなに現状が大変でも、
足下がぶらつくような精神的な危機感を持つ事が無くなりました
(アメリカに来て図太くなった、というのもあるかもしれないけど、、、笑)

20代の人生だけで本が2、3冊書けるんじゃないかな?
昔はそんな武勇伝(?)もおもしろ半分にチョロチョロと話していましたが
最近はそういう話もほとんどしません
昔の私の事を今回りに居る人達が聞いても想像できないんじゃないかなと?思う程

そんなぼろぼろの時代があったからこそ今のアメリカでの生活がある訳で、
どんなに辛い過去でも自分が今ここに居る為の礎なんだなと思うと、
人生って「仕方ない」と思っても続けて行かないと思うんですよね

私達は生きているとも言えるし
私達は生かされているとも言える

どちらにしても点はずっと先まで繋がってずいます

さて、先日母が訪ねていてくれた時にちょっと説明した事があります

それは私が10年アメリカに暮らして一番変わったな、と思う
「遠慮と謙遜」の感覚の変化について

実はこの2つの感覚の取り扱いが私にとっては一番難しいのです
日本に帰った時とか、日本の家族や日本人の友人とのやり取りとか、、、

単純に言えば、アメリカンナイズされというか
今の環境(夫を始め回りの友人等)に私がアダプトしてそれが私にとってすごく自然な事だった
という感じです

日本の「遠慮と謙遜」の感覚が嫌だとかそういうポイントではなくって、
それらに振り回されなくなって私の感覚がスゴーーク楽になったという事

なので、私なりの「遠慮と謙遜」の感覚の違いについて書きたいと思っています

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中