私はかなりの数のシャーマニック・セッションを私のメンターである先生たちとやってきました。ジュンイチさんとのセッションの2日後、サラさんというシャーマンの方と出会う機会がありました。
それは1時間のセッションだったのですが、彼女のセッションの中で得た大きな答えは、過去3週間で私が発見した事と全て繋がっていました。彼女がくれた答えは、私が今まで受け入れることができなかったことを、受け入れるということでした。
2016年の5月、私の敬愛するメンターであるVonettaとの最初のセッションで、私が癌を治すために何をしなくてはいけないかを、私たちは深く話し合いました。その結果、彼女は、「Ranはがむしゃらに仕事をすることも他のことも全て止めて、また油絵をまた始めるべきだわ」
油絵は大好きです。油は教えてもらわなくても自然とできた唯一のこと。中学校で14歳の時に初めて油絵を描いた時、私はもうすでに何年も油絵をやっていたかのように描くことができました。油をやっていること、それは私の声、だと感じることができ、言葉でしゃべるときは決して自信がなかった私ですが、油の筆で表現している時は本当の自分を表現することができました。私は私を表現するために油絵を描くことを与えられていたのだと感じていました。
油絵をやめたのは大学に入学したときです。なぜなら大学で日本画を専攻したからです。ここでは何も書きたくありませんが、日本画を専攻したのは私の人生の中での数少ない最悪の決断の一つでした。大学を中退した理由はたくさんありますが、日本画には全く気持ちが入らなかったことはその理由の一つで、大学を中退して以来、絵を描く事は止めてしまいました。
私の母はいつも「もしあなたのパッションが本当なら、どの状況でも絵を続けるでしょう」
そうかもしれない、、、母は正しいと思う。多分、私の場合は、数え切れないほどの言い訳ばかりしていたのかもしれない。でも、20代の前半に実家を出て一人暮らしを始めてからの私の生活は、いつも難しくって、絵を描くことができませんでした。生活をしなくてはいけなかったから。私は生きていかなくってはいけなかったし、油絵を描くような精神的な余裕も経済的な余裕もありませんでした。
たまにスケッチやちょっとした絵などは書いていましたが、本格的に絵を描くということには時間を使った事はありませんでした。私の夫は、私が絵を描きたいと思っていた事を見つけてくれました。彼はいつも必要以上に私のことをサポートしてくれます。私の40歳の誕生日の時に、彼はとっても素敵な油の絵の具と筆のセット、そしてパレットをプレゼントしてくれました。私は絵の具のチューブの蓋を開け、匂いを嗅ぎました。懐かしい匂いに、私が一番幸せだった時の感覚が蘇りました。
でも、私は油絵を描き始めませんでした。油絵の道具は引き出しにしまって、、
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サラとのセッッションで、私の過去を再び経験し、そしてその中で私が抱いていた恐怖心を発見するまで、実はなぜ、私が夫からこのギフトをもらった時に、またVonettaから癌を治すために油絵は必要だと言われていたにもかかわらず、油絵を描き始める事に自分を委ねることができなかったのか分かりませんでした。
今ようやく答えが明確になったのです。
私がまだ一人で生活をしていた時、お金と時間がなかったので油絵を描くことができませんでした。自分一人の力では、油絵を描くことができなかったのです。そして結婚してからは、もし絵を描こうと思ったら夫のサポートが必要でした。結婚後、彼にそうしろと言われた事はなかったのですが、私は働く必要性の有無に関わらず、個人的にお金を稼がなくてはならないと思っていました。だから結婚後も仕事、仕事、仕事でした。
彼は、私に油絵を描いて欲しいから油絵の道具をプレゼントしてくれたわけです。今だからわかりますが、もし私が「ダーリン、私はただ油絵が描きたいの。あなたにおんぶに抱っこでもいい?働く事をやめてもいい?お金を稼がなくてもいい?」と言ったなら、それは彼にとって問題なかったのだと思います。
でも、私はそう彼に言って油を始めることはできませんでした。なぜなら、それを口にすることが私にとって恐怖だったからです。
失敗することへの恐れ、油絵を描いてもいいものが描けないかもしれないという恐れ、仕事をしないということへの罪悪感、彼からの無償の愛そしてサポートを受け取ることへの恐れ
もしかしたら、いくつかの恐れについては多少どうにかすることができたかもしれません、でも私の最大の恐怖は「他人からの贈り物を受け取る」ということでした(物ではなく、見返りを期待しない愛情や気持ちの贈り物という意味ですが、)
通常の場合、子供の見本は両親などの近親の家族です。
私の実家はどちらかというと、伝統的な文化に従った古い日本の家族の形式が残っている感じで、男子第一、女性は男性の次という感じでした。現在の日本では、こうした文化は変わってきましたが、40〜50年前の家庭内の文化は今日とは随分違うものです。アジア圏の文化ではきっとどこでも似たようなものだったかもしれません。我が家の毎日の生活の中からの例では、お風呂に入るのはまず祖父や父から、女性はその後。多かれすくなから、40〜50年前の日本の家族では、階層の中で多少違いがあったかもしれませんが、似たような感じで男性、つまり父親は家庭内で一番だったと思います。
私の父が悪かったわけでも母が悪かったわけでもありません。誰が悪かったわけでもありません。でも、この文化的、かつ長い日本の歴史の中で培われ出来上がった日本の中の家族形態の影響で、私は長いこと苦しまされたのは確かです。伝統的な家族のあり方、古い日本の時代では、主婦は家族の中で独立したステータスが無く、そして自由もなかったように思います。例えば、主婦が個人的に自分のために何かをしたかったら、夫に「お願い」して夫のお金をいただく、というような形態が家庭によってはあったと思います。今日のアメリカで見るようなドメスティック・パートナーシップ、パートナが仕事をしているか、仕事をしていないかに関わらず平等であるような関係では決してありませんでした。
母が私に話してくれたことを今でも覚えています。
私の父が、学会のために海外に旅行することになっていました。母は父に一緒に行くことができるか尋ねたそうです。その時の父の答えは、「君は仕事をしていないし、稼いでいないじゃないか。どうやって旅行に行くことができるの?」
子供の頃に聞いたこの話、冗談みたいな会話だったのか、真剣だったのか、今となっては私が知る由もありません。でも、母がその旅行に一緒に行かなかったことは知っています。この話は、私の根底に一つの事を根強く植えつけました。「もし女である私が自分でお金を稼がなければ、私は何もするべきではないし、私は何もすることができない。もし自分のお金を持っていなければ、私に自由はない。」
他にも覚えている話しがあります。私の母は同じように美術大学に行き油絵を学びました。彼女は私の妹が生まれるまで油絵を続けました。私はまだ母が描いていたこと、そしてその頃の母のアトリエでの油絵の匂いをおぼろげながらに覚えています。でも母は多くの理由で書き続けることができませんでした。勿論、最大の理由は3人の子育てだったのだと思います。誰もが理解できますよね。でも、母の母、つまり私の祖母ですが、彼女は母に対して、「あなたを主婦にするために美術大学に入れた訳じゃないわ。」と母に言ったそうです。
母に先進的というか現代的な大学教育を、そして何よりも母がやりたいという分野で大学に行かせてあげたいというポジティブな思いが祖父母の思いであったことは疑いません。ただこの話は私の中で、なぜか、「私は仕事をしなくてはいけない」「自分でやりたいことをするには自分で稼がなくてはいけない」「母が幸せではないのは主婦でなくてはいけないからで絵を描き続ける事が出来なかったからだ」というような私なりの脈絡を作り上げてしまったのです。
これらの思い出の後、私の目に映った母は、人からの何かをもらったり、してもらったりすることを受け入れる事が大変難しいように見えました、特に父、彼女の夫からは。今思えば、彼女はそうする事によって、つまり、人からのしてもらうことや愛情を受け取らないということが、彼女自身を守る為に必要だったことなのだと思います。彼女が、夫から何かをしてもらうということは無償のものではありませんでした。彼女が何かを夫に頼めば、それは彼女の夫の意思で与えられるもの、無償の愛で与えられるものではなかったから。もし彼女が何かを夫に頼むということは、たとえ簡単な頼みごとでも、彼女のプライドとか自尊心を曲げなければいけなかったから。つまり、頼まないこと、そして何も人から貰うことを望まない事で、彼女の心の平穏を保っていたのだと思います。
今だから、想像できることは、無意識のレベルで私自身は母と同じ状況に陥ることを恐れていたのだと思います。もちろん、この2つの話だけではなく、他にも要因となった小さな出来事が沢山あり、さらに自分の中で恐れているものが、より大きな恐怖に変わっていったのだと思います。でも、この2つの思い出が、私が夫からのギフトを無意識レベルで恐れていた原因であることは確かです。私がいつも感じていたのは、私が私のパートナーから何かをもらったり、してもらったりするということは、私の自由やプライドを失うかもしれないという恐怖でした。私の夫と私の父は違う人だという事は分かっています。そして、もう一つ分かっている事は、この両親から受けた思い出から、どうやって私が受け取り、私自身に影響を与えたのかは、私自身の責任なのだという事です。
子供の頃に聞いたとてもシンプルで思い出にも残らないような会話が、自分自身が知る由もないところで深く深く、そして何年も長い事根強く残ってしまうことがあります。根は深く、そしてとても苦しまされます。勿論、その反対のこともあります。子供の頃で良い思い出や愛情をたくさん受け取ったことで、誰かの人生をとても長いこと喜びに道させてくれることも。
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