私が無意識に恐れていた事は、、、

私が無意識に恐れていた事は、、、

この記事は前回の記事の続きです。

9月の初め、私が感じていた事は、癌ができた事、そしてその癌が治らないのは、スピリチュアル的な問題が一番の理由ではないか?という事でした。

なぜかというと、この1年半で、食事療法も、生活習慣も本当に改善したし、その事に自分でもきちんとやっている自信と、とても良い感じを持っていたからです。血液検査をすれば、栄養状況や炎症のマーカーなどは、ドクターに言わせても理想的だと言われるほど良いものです。自分の正直な感じで言えば、2016年の5月に食事療法を初め生活習慣を変えて以来、体の健康状態は限りなく良くなったからです、、、、左胸に癌があるということを除けば。毎日エネルギーがあることを実感できるし、肌の調子も肌の色も良好、そして消化も腸内健康も健康で強くなったと実感できるからです。もしこれらのことが癌を作った大きな原因であれば、癌がもっと小さくなったり、大きな改善を見せるべき。でも、今のところそうではありません。

これらのことから、私がもともと原因だと思っていた食生活や生活習慣よりも、スピリチュアル的なものがもっと大きな原因なのではないかと思い始めた訳です。

ちょうど、そう思い始めた頃、3人のスピリチュアル・ガイドとヒーラーの方たちと出会いました。その3人の人達は、まさに絶好のタイミングで、そして出会うべき順序で私の人生の中に来てくれたわけです。


意識レベルの測定

私のブログに何回かすでに紹介している、David R. Hawkins, MD., Phd。 彼と一緒に仕事をしていたことがあるという、Mr. Robert Smalleyをオンライン検索中に発見。彼は、個人個人の意識レベル(consicousness level)の測定をしてくれるというのです。David R. Hawkins, MD., Phdの本を読み漁っている私は、私の意識レベルがどの辺りなのか知ってみたいと思いました。「私の意識レベルは自己ヒーリングのレベルに既に入っているのだろうか?」それが私の疑問だったわけです。

Mr. Smalleyのレポートを受け取った時、正直言って自分の現在の意識のレベルをかなり的確にレポートされていた事に少しびっくりしました。その例が、私のレポートの中では、健康への意識と現在の健康のレベルがかなり高い数値を出していたからです。

彼のレポートによると私の意識レベルはかなり500に近いところでした。500はLOVEのenergy fieledです。500から上に行くことで、真の自己ヒーリングが始まります。私の場合、500はすぐ目の前なのですが、でもまだ人々が自己ヒーリングの体験を語るLOVEの領域には入っていないというわけです。

Mr. Smalleyに正直に聞いてみました。「LOVEの意識レベルには届くには、私は何をしなくてはいけないのでしょうか?」彼の答えば、「Self-love」、「自分のエゴを無くす事」、そして「エネジー・フィールドをHeart chakraに持ってきなさい」ということでした。

私の意識レベルが限りなくLOVEの領域に近いことがわかったことについてへ、とても嬉しかったのですが、ここにきてまた壁にぶつかってしまいました。「Self-love、つまり、どうしたら自分で自分を愛してあげる事ができるのか?」「自身を愛してあげるという事はどういう事なのか?」

実は、このテーマは私が本当に小さい時からずっと葛藤して続けている事でした。なぜなら、私の人生の中で「自分を愛してあげる事」を身をもって教えてくれるロールモデル、お手本となってくれる人が周りにいなかったからだと思います。またもやこの事が壁となって目の前に。私が「自分を愛する」ということを学んで、また「自己愛」が本当にどういう意味なのかを学ぶという事が、私の癌を自己ヒーリングするために欠かせない一つの鍵となっているということでは。。。


オーラ リーディング とヒーリング・セッション

その2週間後に、日本からサンフランシスコを訪れていたジュンイチさんにオーラ リーディングとヒーリング・セッションをしてもらう機会がありました。ジュンイチさんに出会う事ができたのは、友人であり呼吸法の先生でもある、サティーさんのご紹介で、まさに幸運と言うだけでは足りないほど素晴らしい出会いでした。

ジュンイチさんの2時間にわたるセッションは、私が今まで取ったどのセッションよりもとても深い深い経験でした。とても優しく、穏やかで、そして驚くほど的を得た情報を、彼は初めて会った私のオーラから読まれたのです。オーラ・リーディンというものを全くした事がなかった私なので、実はちょっと疑うというか、実際にジュンイチさんお会いするまでは半信半疑だった、というのが正直な気持ちでした。でも、部屋に入って、彼の慈愛に満ちたエネルギーの領域に入って触れた瞬間に、私は私の壁みたいなものを瞬間的に取り払う事ができました。

ジュンイチさんとのセッションの内容を全て書くことは不可能なのですが(何よりもすごい量の情報だったので、、、)。中で何よりも重要だった事の一つは、彼のリーディングが私がこの1年半でやってきたことが、間違いなく必要なことだったということを確認させてくれたことです。そして私が彼のセッションで改めて発見しタコとは、根本的なこと、つまり、「自己愛とは何か?」そして、「なぜ私が自己愛を学ぶこと、自分を愛するということをどうして今までずっと理解できずにいたのか?」ということでした。

彼のセッションで私が学んだことは、自分を愛するということは、自分を自身で愛するということだけではなく、人からの愛情を認め、そして受け取るということもしなくてはいけないということです。自分を自分だけで愛するという一方通行の愛は「自己を愛するという事」として機能できない、ということ。

昨年、私のメンターであるVonettaとのシャーマニックのセッションで私の心を見つけることができ、私の胸の真ん中に心が戻ってきて以来、私が私でいうる事にギクシャクすることがなくなり、自分がありのままでいる事を自然に感じルことができるようになり気持ちも落ち着いていました。そのことで、私が学んだことは、どうやって自分を潤してあげるかということ。でも、ジュンイチさんのセッションで私が改めて気づかされたことは、自分で自分を潤すだけではダメで、人から愛情を受け取るということを私は学ぶことができなかったということです。いつも、いつも、人からの愛情を受け取るということを恐れていたことに気がつかされ、そして私は、自分の夫からの愛情さえも受け取ることを恐れていたということに気がつかされたのです。無意識のレベルですが、私は自分が大好きな人達からの愛情を受け取ることを拒否していたという訳です。

この事を自分でわかり、その事実に本当に悲しくなりました、、、。深いところで悲しみながらも、この私の恐怖心と問題をここにきて漸く認識することができた事に、逆に感謝の念で一杯になりました。この発見にはかなりのショックでした。なぜなら、この愛情を受け取ることへの恐怖心は、とてもとても深いところで、無意識ではあったものの、実は常に、途絶えることなく長い事、私が抱えていた事に気がついたからです。


サラとのシャーマニック・セッション

私はかなりの数のシャーマニック・セッションを私のメンターである先生たちとやってきました。ジュンイチさんとのセッションの2日後、サラさんというシャーマンの方と出会う機会がありました。

それは1時間のセッションだったのですが、彼女のセッションの中で得た大きな答えは、過去3週間で私が発見した事と全て繋がっていました。彼女がくれた答えは、私が今まで受け入れることができなかったことを、受け入れるということでした。

2016年の5月、私の敬愛するメンターであるVonettaとの最初のセッションで、私が癌を治すために何をしなくてはいけないかを、私たちは深く話し合いました。その結果、彼女は、「Ranはがむしゃらに仕事をすることも他のことも全て止めて、また油絵をまた始めるべきだわ」

油絵は大好きです。油は教えてもらわなくても自然とできた唯一のこと。中学校で14歳の時に初めて油絵を描いた時、私はもうすでに何年も油絵をやっていたかのように描くことができました。油をやっていること、それは私の声、だと感じることができ、言葉でしゃべるときは決して自信がなかった私ですが、油の筆で表現している時は本当の自分を表現することができました。私は私を表現するために油絵を描くことを与えられていたのだと感じていました。

油絵をやめたのは大学に入学したときです。なぜなら大学で日本画を専攻したからです。ここでは何も書きたくありませんが、日本画を専攻したのは私の人生の中での数少ない最悪の決断の一つでした。大学を中退した理由はたくさんありますが、日本画には全く気持ちが入らなかったことはその理由の一つで、大学を中退して以来、絵を描く事は止めてしまいました。

私の母はいつも「もしあなたのパッションが本当なら、どの状況でも絵を続けるでしょう」

そうかもしれない、、、母は正しいと思う。多分、私の場合は、数え切れないほどの言い訳ばかりしていたのかもしれない。でも、20代の前半に実家を出て一人暮らしを始めてからの私の生活は、いつも難しくって、絵を描くことができませんでした。生活をしなくてはいけなかったから。私は生きていかなくってはいけなかったし、油絵を描くような精神的な余裕も経済的な余裕もありませんでした。

たまにスケッチやちょっとした絵などは書いていましたが、本格的に絵を描くということには時間を使った事はありませんでした。私の夫は、私が絵を描きたいと思っていた事を見つけてくれました。彼はいつも必要以上に私のことをサポートしてくれます。私の40歳の誕生日の時に、彼はとっても素敵な油の絵の具と筆のセット、そしてパレットをプレゼントしてくれました。私は絵の具のチューブの蓋を開け、匂いを嗅ぎました。懐かしい匂いに、私が一番幸せだった時の感覚が蘇りました。


夫がプレゼントしてくれた油絵のセット
2011年の私の40歳の誕生日に夫がプレゼントしてくれた油絵のセットは引き出しの中に6年も眠っていました


でも、私は油絵を描き始めませんでした。油絵の道具は引き出しにしまって、、

サラとのセッッションで、私の過去を再び経験し、そしてその中で私が抱いていた恐怖心を発見するまで、実はなぜ、私が夫からこのギフトをもらった時に、またVonettaから癌を治すために油絵は必要だと言われていたにもかかわらず、油絵を描き始める事に自分を委ねることができなかったのか分かりませんでした。

今ようやく答えが明確になったのです。

私がまだ一人で生活をしていた時、お金と時間がなかったので油絵を描くことができませんでした。自分一人の力では、油絵を描くことができなかったのです。そして結婚してからは、もし絵を描こうと思ったら夫のサポートが必要でした。結婚後、彼にそうしろと言われた事はなかったのですが、私は働く必要性の有無に関わらず、個人的にお金を稼がなくてはならないと思っていました。だから結婚後も仕事、仕事、仕事でした。

彼は、私に油絵を描いて欲しいから油絵の道具をプレゼントしてくれたわけです。今だからわかりますが、もし私が「ダーリン、私はただ油絵が描きたいの。あなたにおんぶに抱っこでもいい?働く事をやめてもいい?お金を稼がなくてもいい?」と言ったなら、それは彼にとって問題なかったのだと思います。

でも、私はそう彼に言って油を始めることはできませんでした。なぜなら、それを口にすることが私にとって恐怖だったからです。

失敗することへの恐れ、油絵を描いてもいいものが描けないかもしれないという恐れ、仕事をしないということへの罪悪感、彼からの無償の愛そしてサポートを受け取ることへの恐れ

もしかしたら、いくつかの恐れについては多少どうにかすることができたかもしれません、でも私の最大の恐怖は「他人からの贈り物を受け取る」ということでした(物ではなく、見返りを期待しない愛情や気持ちの贈り物という意味ですが、)

通常の場合、子供の見本は両親などの近親の家族です。

私の実家はどちらかというと、伝統的な文化に従った古い日本の家族の形式が残っている感じで、男子第一、女性は男性の次という感じでした。現在の日本では、こうした文化は変わってきましたが、40〜50年前の家庭内の文化は今日とは随分違うものです。アジア圏の文化ではきっとどこでも似たようなものだったかもしれません。我が家の毎日の生活の中からの例では、お風呂に入るのはまず祖父や父から、女性はその後。多かれすくなから、40〜50年前の日本の家族では、階層の中で多少違いがあったかもしれませんが、似たような感じで男性、つまり父親は家庭内で一番だったと思います。

私の父が悪かったわけでも母が悪かったわけでもありません。誰が悪かったわけでもありません。でも、この文化的、かつ長い日本の歴史の中で培われ出来上がった日本の中の家族形態の影響で、私は長いこと苦しまされたのは確かです。伝統的な家族のあり方、古い日本の時代では、主婦は家族の中で独立したステータスが無く、そして自由もなかったように思います。例えば、主婦が個人的に自分のために何かをしたかったら、夫に「お願い」して夫のお金をいただく、というような形態が家庭によってはあったと思います。今日のアメリカで見るようなドメスティック・パートナーシップ、パートナが仕事をしているか、仕事をしていないかに関わらず平等であるような関係では決してありませんでした。

母が私に話してくれたことを今でも覚えています。

私の父が、学会のために海外に旅行することになっていました。母は父に一緒に行くことができるか尋ねたそうです。その時の父の答えは、「君は仕事をしていないし、稼いでいないじゃないか。どうやって旅行に行くことができるの?」

子供の頃に聞いたこの話、冗談みたいな会話だったのか、真剣だったのか、今となっては私が知る由もありません。でも、母がその旅行に一緒に行かなかったことは知っています。この話は、私の根底に一つの事を根強く植えつけました。「もし女である私が自分でお金を稼がなければ、私は何もするべきではないし、私は何もすることができない。もし自分のお金を持っていなければ、私に自由はない。」

他にも覚えている話しがあります。私の母は同じように美術大学に行き油絵を学びました。彼女は私の妹が生まれるまで油絵を続けました。私はまだ母が描いていたこと、そしてその頃の母のアトリエでの油絵の匂いをおぼろげながらに覚えています。でも母は多くの理由で書き続けることができませんでした。勿論、最大の理由は3人の子育てだったのだと思います。誰もが理解できますよね。でも、母の母、つまり私の祖母ですが、彼女は母に対して、「あなたを主婦にするために美術大学に入れた訳じゃないわ。」と母に言ったそうです。

母に先進的というか現代的な大学教育を、そして何よりも母がやりたいという分野で大学に行かせてあげたいというポジティブな思いが祖父母の思いであったことは疑いません。ただこの話は私の中で、なぜか、「私は仕事をしなくてはいけない」「自分でやりたいことをするには自分で稼がなくてはいけない」「母が幸せではないのは主婦でなくてはいけないからで絵を描き続ける事が出来なかったからだ」というような私なりの脈絡を作り上げてしまったのです。

これらの思い出の後、私の目に映った母は、人からの何かをもらったり、してもらったりすることを受け入れる事が大変難しいように見えました、特に父、彼女の夫からは。今思えば、彼女はそうする事によって、つまり、人からのしてもらうことや愛情を受け取らないということが、彼女自身を守る為に必要だったことなのだと思います。彼女が、夫から何かをしてもらうということは無償のものではありませんでした。彼女が何かを夫に頼めば、それは彼女の夫の意思で与えられるもの、無償の愛で与えられるものではなかったから。もし彼女が何かを夫に頼むということは、たとえ簡単な頼みごとでも、彼女のプライドとか自尊心を曲げなければいけなかったから。つまり、頼まないこと、そして何も人から貰うことを望まない事で、彼女の心の平穏を保っていたのだと思います。

今だから、想像できることは、無意識のレベルで私自身は母と同じ状況に陥ることを恐れていたのだと思います。もちろん、この2つの話だけではなく、他にも要因となった小さな出来事が沢山あり、さらに自分の中で恐れているものが、より大きな恐怖に変わっていったのだと思います。でも、この2つの思い出が、私が夫からのギフトを無意識レベルで恐れていた原因であることは確かです。私がいつも感じていたのは、私が私のパートナーから何かをもらったり、してもらったりするということは、私の自由やプライドを失うかもしれないという恐怖でした。私の夫と私の父は違う人だという事は分かっています。そして、もう一つ分かっている事は、この両親から受けた思い出から、どうやって私が受け取り、私自身に影響を与えたのかは、私自身の責任なのだという事です。

子供の頃に聞いたとてもシンプルで思い出にも残らないような会話が、自分自身が知る由もないところで深く深く、そして何年も長い事根強く残ってしまうことがあります。根は深く、そしてとても苦しまされます。勿論、その反対のこともあります。子供の頃で良い思い出や愛情をたくさん受け取ったことで、誰かの人生をとても長いこと喜びに道させてくれることも。




ここに書いた全ての事を夫に話しました。

漸く、私が本当に油絵を描きたという事、そしてそれをする為には彼の理解と、サポートが必要だという事を夫に話しました。そして、長い事、彼が送ってくれた油絵の道具を引き出しにしまったままにしていた事を誤りました。

そして、夫の返事は、「君がそうすると決めてくれて、僕は心から君のために幸せに思うよ。でも、今回は僕の贈り物を喜びとして受け取って欲しい、罪悪感としてではなく」

私は「Yes」と言って、涙が流れてきました。

なぜなら、罪悪感やそのようなネガティブな感情を伴う事なく愛情を受け取るという事を学ぶのに、本当に長い長い年月がかかった事を改めてわかったからです。




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